それは冬の冷え込みが厳しい夜のことでした。前触れもなく襲ってきた激しい悪寒に、私はただならぬ気配を感じて毛布に潜り込みました。体温計が示した数字は、瞬く間に三十九度を超え、ついには四十度という、大人になってからは経験したことのない領域に達しました。高熱が何度からという知識はあっても、実際にその数字を目の当たりにすると、冷静ではいられなくなるものです。視界は歪み、自分の呼吸の熱さで喉が焼けるような感覚に陥りました。四十度という熱は、単なる病気の症状を超えて、自分という存在が内側から溶けていくような、圧倒的な物理的圧力を伴うものでした。枕元に置いたスポーツドリンクに手を伸ばすことさえ、命がけの作業のように感じられ、時間の感覚が完全に麻痺していきました。その夜、私は熱の波の中で様々な幻覚に近い思考を繰り返しました。なぜ、私の体はこれほどまでに熱を上げ続けなければならないのか。ウイルスと戦っているという理論は知っていても、戦場となった自分の体はあまりにも疲弊しきっていました。家族が心配して氷枕を替えてくれる手の感触だけが、かろうじて私を現実の世界に繋ぎ止めていました。高熱の定義を調べれば三十八度以上と出てきますが、その先の四十度という世界は、もはや数字で語れるものではありませんでした。熱が出始めてから夜が明けるまでの数時間は、私にとって数年分にも匹敵する重苦しい旅路でした。明け方、ようやく汗が吹き出し、体温計が三十八度台まで下がったのを見たとき、私は死の淵から帰還したような深い安堵を覚えました。熱が下がり始めると同時に、あれほど濁っていた意識が徐々に透明度を取り戻し、世界が色彩を取り戻していくようでした。あの夜の経験は、私に「熱」というものの恐ろしさと、それを乗り越える体の力強さを教えてくれました。何度から高熱かという問いに対する答えは、医学的な三十八度という数字以上に、自分の心が「これ以上は耐えられない」と叫び始めるその瞬間にあるのかもしれません。四十度の熱は私の体力を根こそぎ奪っていきましたが、同時に、生きて呼吸をしていることの尊さを、これ以上ないほど鮮烈に刻み込みました。病が去った後の静かな朝、私は平熱のぬるい安心感の中で、自分の体が静かに行っている生命維持の活動に、深い感謝の念を抱かずにはいられませんでした。
四十度の熱と戦ったある夜の記憶