私は長年、職場でのケアレスミスや忘れ物に悩まされてきました。重要な会議の時間を間違えたり、提出書類の細かな不備を何度も指摘されたりするたびに、私は自分のデスクで深く頭を下げ、夜には自宅で「なぜこんなにダメなんだ」と自分を責め続けていました。同僚が簡単にこなしているルーチンワークが、私にとっては巨大な壁のように感じられ、どんなに注意を払っても、気づけば別の場所で穴が開いているような毎日でした。そんな時、インターネットで見かけた大人の発達障害という言葉が、私の心に深く突き刺さりました。特徴を読み進めるうちに、まるで見知らぬ誰かが私の人生を覗き見して書いたのではないかと思うほど、自分の特性に合致していたのです。そこで私は、専門外来で診断を受けるべきかという大きな決断に迫られました。当初は、もし本当に障害だと診断されたら、自分のこれまでの努力が否定されるような気がして怖かったのを覚えています。また、会社に知られたら居場所がなくなるのではないかという不安もありました。しかし、一方で「理由がわからないまま失敗し続ける」ことへの恐怖はそれを上回っていました。意を決して受診し、知能検査や詳細なヒアリングを経て下された診断は、注意欠陥多動性障害、いわゆるADHDでした。その瞬間、不思議と涙が溢れてきました。それは悲しみの涙ではなく、ようやく自分の苦しみに理由がついたという安堵の涙でした。診断を受けたことで、私は自分に対する戦略を変えることができました。ただ「気をつける」という精神論ではなく、スマートフォンのリマインダーを何重にもかけ、視覚的に情報を整理するツールを導入し、上司には自分の特性を「耳で聞くよりも文字で見たほうが確実に理解できる」という形で具体的に相談しました。診断名は、私にとって自分を縛る鎖ではなく、自分を自由にするための地図となりました。もし今、かつての私のように、職場での失敗に打ちのめされながら診断を迷っている大人がいるなら、伝えたいことがあります。診断はあなたを「できない人」にするものではなく、あなたが「できる方法」を見つけるためのプロセスです。一人で暗闇の中をもがくよりも、専門的な知見という光を借りて自分の足元を照らすほうが、はるかに効率的で、自分に優しい選択になり得ます。社会という荒波の中で、自分なりの泳ぎ方を知ることは、あなたの尊厳を守るためにとても重要なことなのです。
職場でミスが続く大人が発達障害の診断を受けるべきか真剣に考えた軌跡